菜の花のある風景


桜が満開に近くなったこの頃、菜の花もあちこちで見頃になった。
菜の花を見ると、司馬遼太郎の 「菜の花の沖」が思い起こされる。
一面の菜の花の向こうに青い海が輝いていたら、素晴らしいだろうなあ。
そんな雄大な景色はみられないだろうが、大好きな菜の花を探して歩いてみた。



一両の電車菜の花分けて来る


菜の花を揺らせ一両電車過ぐ







線路 お









電車 え









電車 お









電車 か









電車 く









先日、散歩の途上で、久しぶりに雄鶏の声を聞いた。
辺りを見回してみたが、雄鶏はは見当たらなおい。
どうやら、菜花の陰に鶏小屋があるらしい。


雄鶏の声菜の花の背後より



鶏小屋 い









鳥居と菜の花 う









桜と菜の花 か







~~~~~~~~~~~~~~~



都会ではまだ空爆の瓦礫が残っていた頃、田園の春はそれは美しかった。
一面のれんげ畑や菜の花畑が広がった。小川にはメダカや鮒、オタマジャクシなど、いきものが溢れていた。
だが、化学肥料や農薬、トラクターもなかったから、農家の方たちは大変だったろう。


父は、戦後の一時期、菜種油を絞っていたことがある。
彼がそこに至るまでには、実に様々な出来事があった。

自営の鶏卵会社の卵や近在の物産を中国に輸出する船に積むために、運送店も経営していた。
しかし戦争が始まると、船は取り上げられ、運送店は日通に吸収された。
父は日通の支店長として、主に軍事物資の輸送に従事していたようだ。

人に使われることを納得していなかった父は、戦後の復興期になると日通を辞して、製材業を始めた。
やっと製材業が軌道に乗り始めた頃、経理の男が金を持ち逃げした。
預金封鎖を経験した父たちは銀行を信用していなかったが、金庫番はもっと信用できなかったのだ。
逮捕されたときは、すでに金を使い果たしていたので、事業を疊むしかなかった。

その後、経営経験を活かして欲しいと、農協の組合長を頼まれた。
父が帳簿の点検をはじめると、経理の男が、元地主が組合長なのはけしからんと、リコール運動を起こした。
父は、頼まれたからやっていただけだと、さっさとやめた。
その後まもなく、その男は長年にわたる多額の着服が判明し逮捕された。
農協の存亡の危機となり、歴代の組合長が分担して穴を埋めた。
田畑を売り払った、気の毒な元組合長もおられた。

そして、菜種油を絞り始めた。
自宅の裏庭の小さな作業所だったが、家族を養える程度の収入はあった。
ある日、若い夫婦が油の絞り方を教えて欲しいとやってきた。
父は、丁寧に指導した。
ところが何と、彼らは我が家から20メートルと離れていない場所に、精油所を作ったのだった。

農地解放後、小作にだしたままだった、わずかに残っていた田畑を返してもらおうとした。
だが,食料増産が大切な時代に素人に田畑は返せないと、つっぱねられた。
戦後は愚痴を言わなかった父も、世の中が豊かになるにつれて落ち込むようになり、寝込む日が多くなった。


大変な人生を送った父に、もっと優しくしてあげればよかった。
だが、徹底した長男教育を受けていて父は、妻子よりも ”家”が大切な人だった。
まあ、親兄弟からの干渉もすごかったし。
実に9人の子供を生んだ祖母は、気に入らないことがあると息子や娘を召集して親族会議なるものを開いていた。

そして、父は採算重視の経営者でもあった。
医者になる以外には女の子に学費は出さないといわれていた。
私は医者になれないかわりに、自由を得た。


なりふり構わず、人を押しのけていく人。
犯罪を犯してでも今の刹那を京楽しようとする人。
美しい田園風景とは裏腹に、人の心はすさんでいた。

戦後の、一庶民の生活の例として記してみた。



時代の浪に翻弄された全ての人に、合掌。


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Re: No title

家を離れている子供たちには、懐かしい風景かなと思って、載せてみました。
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